MESSAGE 代表挨拶
OUTLINE 会社概要
- 会社名
- 株式会社一向社
- 創業年月
- 大正11年(1922年)9月
- 設立年月日
- 昭和9年(1934年)8月18日
- 所在地
- 〒553-0001 大阪市福島区海老江5-5-7
- 電話番号
- TEL.0120-150-585
- 資本金
- 15,000千円
- 代表者
- 代表取締役 岩田 雄仁
- 従業員
- 10名(2023年1月現在)
- 取引銀行
- 三井住友銀行 西野田支店/三菱UFJ銀行 野田支店
HISTORY 100年の歩み
- 1922年
-
大正デモクラシーの時代1922年に起業
一向社の創業は明治維新後、日清戦争(1894-1895年)と日露戦争(1904-1905年)の勝利を経て日本が西欧列強の仲間入りを果たした時代でした。1918年に第1次世界大戦が終結し、1920年3月に「戦後恐慌」を迎えます。一方で、経済の急速な発展や近代化で目覚めた自由主義や民主主義の思潮、市民文化や大衆文化の流れは止まらず、いわゆる「大正デモクラシー」と呼ばれる時代でした。
- 1934年
-
株式会社を設立 社員も倍増
時代は昭和になり、一向社は活版印刷を生業とする会社として発展しました。1934年に株式会社一向社としてスタート。社員も増えて営業に奮闘していた頃ですが、1941年に太平洋戦争が始まることに。
- 1960年
-
戦後復興からドイツ製印刷機の導入
ハイデルベルグ社の「プラテン」というドイツ製の活版印刷機をいち早く導入し、ポーラー断裁機が関西で最初に導入されました。また、半透明用紙のトレーシングペーパーに印刷する特殊な「VQインキ」を自社開発。「製図用紙」として製品化し、商品開発を行う大手メーカーに多数納入しました。
- 1965年
-
現在でも毎年作成 現在の手帳は当時から
活版印刷とオフセット印刷を使用して作成した「メモランダム」という手帳を、前期・後期の年2回作成して皆様にお届けしていました。
- 1970年
-
ハイデルベルグ社のオフセット印刷機導入
1970年頃にオフセット印刷機を導入。家電メーカーから、液晶になった電卓の初号機の取扱説明書などを受注しました。
- 1980年
-
家電メーカーのパソコン販売をサポートした時代
1978年に開発された8bitパソコンの「MZシリーズ」やワープロの「書院」の取扱説明書の印刷や原稿のライティングも行いました。
- 1990年
-
紙のデザイン·写植·版下からDTPの時代へ
90年代からMacintoshシリーズのIIfx(ツーエフエックス)とIIci(ツーシー アイ)を導入し、本格的にDTP(デスクトップパブリッシング)がスタートしました。同時期に印刷事業を縮小し、広告代理店へと転向。
- 2000年
-
本格的なインターネット時代への取り組み
インターネット端末も開発する家電メーカーのヒット商品ZaurusやMebius、液晶テレビAQUOSの店頭プロモーション動画などの作成も初号機段階から携わり、徐々に紙からデジタルへと事業を転換して行きました。
- 2008年
-
全国カレンダー展において映えある
経済産業大臣賞受賞東京のIT系商社の配布用カレンダーを8年連続で制作。2008年制作のカレンダーはドイツのカレンダー展でも銀賞を受賞しました。
- 2015年
-
新事務所9年振りに海老江にカエル
国道2号線沿いの海老江の地に社屋が建ち、大阪福島(2007年-)から移転しました。翌年東京事務所も新宿から原宿に移転。脱印刷営業を推進するべく、創発型アイデアサービス企業として変革しました。
- 2020年
-
新たにMAツールを導入し
「プロマケ」サービスを開始「顧客とのコミュニケーションの非対面化」がコロナ禍で急増。プロモーションとマーケティングをMA(マーケティングオートメーション)ツールで構築する、「会わずして見込み客と接触してセールスを行う仕組み」の提供を始めました。
- 2022年
- 創業100周年
ACCESS アクセスマップ
- 本社
- 〒553-0001 大阪市福島区海老江5-5-7
- 東京オフィス
- 〒108-0075 東京都港区港南2-3-1 大信秋山ビル3F #321